ここ数年毎日のように高齢運転者による交通事故のニュースを目にして、その度に嫌な気分になる。実際、高齢者が起こした国内の事故統計情報を見る限り1日1件以上起こっている計算なのだから、目にするのは当然と言えるのだろう。
誰しもミスはあるし、事故が起こっても元の状態に戻せるならそこまで大きな問題でもないが、現実は残酷で、将来があったはずの若者が被害に合い、その後の生活に一生障害をかかえたり、場合によっては死亡する事故を見る限り、あまりにも非対称性が強い状況が多く、加害者である老人がそれに見合う代償を払えるかどうか怪しいことの方が多く感じる。
そのような状況に対して、私は一つエンジニアとして現実的な提言をしたい。
今後国内向けに新車として販売する一般の市販車に対して、運転免許証を車に刺さないと車のエンジンなりモーターが始動しないようにすべきだ。警察、消防、自衛隊などの特殊車両や、既に販売されている車、海外から輸入した車などは除外して良いと思う。自動車産業全体に時限措置を設け、5年程度の時間をかけて新規に販売される大多数の大衆車が運転免許証を刺さなければ動かない状態が作れることをひとまずのゴールと考える。
なぜ、運転免許証を使うのか?という観点に対して、一番の理由として現状の免許返納が意味のある行為になっていないからである。
歯に衣着せぬ物言いをさせてもらうが、既にボケ老人だった場合、免許を返納したとしても動く状態の車が残っており、家に車の鍵があれば、自身が免許を持っていない事も忘れて車を暴走させてしまうのは過去日本中で幾度となく事故が繰り返されている以上、覆りようのない事実である。
であるならば、物理的に運転免許証が無ければ動かせない状況を作ってしまう方が良く、それで事故被害者が減らせるなら安いものである。勝手に家族の免許証を老人に奪われた。などの屁理屈を言う輩は出るだろうが、管理できていない状況などは知ったことではない、奪われるようであれば、認知や行動に問題があるのだから、病院なり警察なりに連れて行き、被害が出る前に隔離されるべきである。本人にとっても家族にとっても責任が取れないことを起こす前にそうすべきだし、社会秩序や人々の安全を優先すべきではないだろうか?
また、一般人が使う車に免許証を刺さなければ動かせない制限が課されたとしても、そもそもに運転者は免許携帯が義務なのだから何の問題も無いはずである。多少不便になることは確かであるが、それで多くの人命が救われるのであれば全体が負担すべきコストとしては十分に釣り合うと感じる。毎回乗る際の手間の部分に関しては、確かに手間だとは思う。しかし、根本的な部分も含めて、より良いアイデアなりがあれば随時改善していけば良い話である。
技術的な実現性に関しては、現状エンジンの始動が電子制御になっていない車など皆無であり、その状況で制御を加えるのが難しいわけがない。そんなに簡単にできないというのなら技術者の頭を疑う。そして、日本の運転免許証には既に Mifare Type-B のチップが埋め込まれており、個人であっても市販の安価なカードリーダを使って中身にアクセスできる。実際に運転免許証に対してコマンドを叩き、PIN コードを渡せば、免許証にJPEG2000形式の顔写真やデータが入っていることを個人レベルで確認できるのだから。
そして、自動車でのカードの識別はPINコードを入れることもせず、個人認証をする必要なども一切なく、運転免許証のチップが埋め込まれたカードであることだけを認識できれば良いと考える。難しいことはさせず、誰でも使える手順にすることを考えると、これだけで目的は果たせるからである。
PINコードを入れない限り運転免許証の中のデータは取り出せないため、プライバシーやセキュリティの問題も回避できる。後ろめたい事も無く普通に生きている市民からすると、これで問題ないはずだ。権利侵害だ何だとやたら騒ぐ連中は犯罪者のような連中としか考えられないため、そのような輩の戯言は無視すべきだろう。
チップの認識だけであれば、機能的にも複雑さが抑えられるため、そのレベルのモジュールを大量に導入するのであれば、開発も生産も難しいはずがなく、今後の国産の新車に付けるのであれば価格も当然抑えられるべきであるが、生産側も慈善事業ではないため、ある程度の金額であれば仕方ないと思う。ただ、その価格分も国民の安全のために国策として税金投入しても未来の人命が救われるのであれば安いぐらいだ。国策として国交省辺りが主導的に行うのは利権が作られる可能性が高いとはいっても、実現性を考えれば理想かもしれない。
既存の車に対しては、後付けできるような運転免許証スロット的なモジュールを流通させ、モジュールや作業工賃などの一部をキャッシュバックするキャンペーンを国主導で実施するのも良いと思う。
もちろん、これだけでそれまでの問題が全て解決できるわけではないだろうし、上記の策も完璧なはずもないだろう。しかし、少なくともやらないより、やったほうが確実に人命が救えると確信しているし、我々はできることを模索し続け、実践し、間違っていたなら協議し、より良い方向へ軌道修正すれば良いだけの話ではないのだろうか?
交通事故自体が減ることと、被害があってもできるだけ軽症で済むことを願う。
0 件のコメント:
コメントを投稿